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大阪高等裁判所 昭和53年(行コ)28号 判決

控訴人

宇都宮チホミ

右訴訟代理人

福田徹

高野真人

被控訴人

橋本労働基準監督署長

御剛辰夫

右指定代理人

岡崎真喜次

外三名

主文

原判決を取消す。

被控訴人が昭和四八年六月二〇日付で控訴人の夫宇都宮繁男の死亡につき控訴人に対してした労働者災害補償保険法に基づく遺族補償給付及び葬祭料を支給しない旨の処分を取消す。

訴訟費用は一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

一、控訴代理人は、主文同旨の判決を求め、

被控訴代理人は、「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

二、当事者の主張及び証拠関係は、次に付加するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

(控訴人の主張)

1  労働者が通勤途上に被つた災害(以下通勤災害という。)により死亡した場合、原則として業務遂行性があるとはいえず、労働者災害補償保険法(以下労災保険法という。)の「業務上の事由による労働者の死亡」にあたらないとの判断は正当でない。

(一) この点については、まず憲法二五条の生存権保障の視点と「業務災害の場合における給付に関する条約」(ILO第一二一号)が通勤災害を業務災害とみなすよう求めていること(七条)を前提とし、かつ、本件災害発生後間もなく通勤途上災害保護制度が創設されたことが通勤災害を業務外として保護の対象としないことの社会的法的不当性を示すものであることを想起すべきである。

右の見地に立つときは、労働者が労働契約に基づき担当する本来の職務の履行とその履行のため履行場所に赴く行為を形式的に分離し、通勤災害につき本来の業務と関連がなく、業務遂行性がないとの原則論には重大な疑問がある。

(二) さらに使用者にとつて通勤災害を予防するてだてがなく、したがつて出勤途中においては労働者は未だ使用者の支配管理下に置かれていないとの視点のみを強調し、使用者の支配管理下に入つたとみるべき特別事情があるとして業務上の災害とされるには、少くとも、労働者が休日等で本来労務提供義務のない日に、使用者が自己の都合により労働者に特別の出勤を命じた場合であることが必要であるとの見解は、理論上なんら正当な根拠がなく、労働者の生活保障の接点に立ち無過失責任をとつた労働者災害補償制度の理念すら忘却するものである。

(三) 要するに、通勤災害につき業務上外の認定を行なうにあたつては、右制度の趣旨にてらし、事案に即しつつ弾力的に、実質的正義を具現する方向に立つて判断がなされなければならない。

2  労働災害を原則的に業務上のものでないとする労働省の見解においても、例外的に業務上のものと認められる場合として、要旨次のものが摘示されている。

① 使用者が専用の交通機関を労働者の通勤の用に供している場合あるいは、事業場と事業付属寄宿舎との間の通勤途上で特定の交通機関を利用する以外に往復の方法がない場合

② 通勤途上で用務を行なう場合

③ 突発事故等による緊急用務のため、休日又は休暇中に出勤を命ぜられた場合のような予想外の緊急の出勤の場合以上の場合につき何故業務上災害と認められるかを吟味すれば、①の前後段の場合に共通しているのは、使用者が労働者に対し、特定の通勤方法をとることを確定的に予定し、かつ期待せざるを得ない客観的な事態が存在する点にある(後段にあつては、通勤途上につき使用者の労働者に対する支配があるとはいえない。)。②については、一般通常の通勤行為に若干の特殊事情ないし特別の行為が付加された場合業務上災害と認めようとする思想が右見解の基底にある(使用者の明示の命令がないのに、作業に必要な自己のワイヤーロープを選んで自宅から作業現場に赴く途中の災害を業務上のものとした(労働保険審査会昭和四五年一二月二〇日裁決参照―この事例は、通常の出勤に際し、たまたま道具の運搬をしたに過ぎないといえる。))。③については、休日等の出勤も通常の出勤も、労働義務の履行、支配従属性につき、また通勤方法に対する使用者の支配度において、さらに使用者が労働者の通勤中の災害防止の手段がない点において、いずれも全く差異はなく、結局実質的にみて、労働者は、通常予定される範囲と態様の異なる特別の行動を使用者の命令に基づいて行なつたことをもつて使用者の支配管理の存在につき通常の通勤と区別する基準としている。なお、突発事故のため出勤督励を受け(当日提供すべき業務の履行を促されたに過ぎない。)、現場に向う途上の事故につき業務性が認められている(昭和三〇年一一月二二日基災収九一七)。

以上要するに、制限的な解釈態度をとる労働省の見解すら、通常とは違う特殊な通勤行為が存在する場合においてそれが使用者の明示あるいは黙示の命令あるいは期待に合致しているとみるべき合理性の有無を、事案に即し具体的に判断すべきものとの思想を基底に置くものと見ざるを得ない。業務上・外の認定に当つては、形式的基準を設け、自らもこれに拘束されて判断する解釈態度は批判されなければならない。

3(一)  当時繁男が従事していた職務の性質は、原判決摘示請求原因3(三)のとおりであつて、その意味では恒常的に通常の職場における緊急事態発生状態と同視すべきである。

そして、同(二)記載の事情から繁男が欠勤すれば代替要員が用意できず、業務中断の危険は現存しており、したがつて、繁男の行なおうとした出勤は、通常の事業場において突発事故に対応して急拠出勤する場合に比し、これに劣らぬ特殊な重要性を帯びていた。

(二)  本件勤務場所は、山間僻地で交通不便であり、もし、いつものバスに乗り遅れるときは、出勤すべき時刻に大幅に遅れるから、通常時には、年次有給休暇(以下年休という。)を請求取得することとするが、前記(一)の事情から、繁男は敢えて出勤を強行すべきものと判断して(使用者が労働者に対し期待する合理的行動を忠実的確に履行しようとして)、通常時に存在せぬ危険をおかして特別の方法により出勤しようとして本件災害を被つたものである。もし、繁男が年休を請求すれば、(一)の事情から使用者側として出勤を命じたことが明らかであり、本件出勤は休日出勤命令に基づくものと同視すべきである(労働者の年休請求に対し、使用者が適法に時季変更権を行使した場合は、年休の権利性に鑑み、不就労日とする権利を有する労働者を特に就労させたものであつて、休日出勤と同視されるべきでる。)。

(三)  繁男がバスに乗り遅れた後、上司の指示に基づいて出勤することになつたと仮定すれば、本件のように原動機付自転車(以下原付車という。)運転による通勤を指示された蓋然性があり、この意味において繁男は使用者の期待する・他に選択の余地のない(事業場の位置から、かかる危険性の高い方法による通勤が不可避である。)特別の通勤をなしたものといわなければならない。

(四)  繁男の本件通勤は、前記2の労働省の見解に立つた場合、(1)まず通常時にあつても、その勤務場所が山間僻地にあり、その通勤の手段経路においても労働者の自主的選択の可能性が存在せず、それ故前記2①の基準に照らし、(2)しかも、前記(一)ないし(三)の事情からすれば、同③の基準にてらし使用者の支配下にあつたものと評価され、業務上のものと認められなければならない。

理由

一請求原因1、2の事実(原判決二枚目表末行から三枚目裏二行目まで)は当事者間に争いがない。

二本件の争点は、繁男の被つた本件通勤災害死亡が労災保険法(昭和四八年法律八五号による改正―以下四八年改正という。―前)一条の「業務上の事由による死亡」、同一二条二項の「労働基準法七九条及び八〇条に規定する災害補償の事由」、労働基準法(以下労基法という。)七九条、八〇条の「業務上死亡した場合」(以下一括して業務上という。)に該当するか否かにあるので、通勤災害に関してこれら規定の意義を検討する。

労災保険法は、昭和二二年制定以来昭和四〇年法律一三〇号、昭和四四年法律八三号、同八五号等により多くの重要な改正を経て、使用者を集団としてとらえることにより、その責任の拡大、徹底をはかるものとして、被労働者の被つた損害の補償・個々の使用者の責任保険の性格から労働者の生活権の保護に向け踏み出したものということができる。本件災害発生時(前記四四年改正後)における「業務上」の解釈としては、個々の労使間の労働関係に基礎をおく損失補填の法理に厳格にとらわれることなく、労働関係に関連して発生した災害を労働者と使用者側(労災保険の実質的負担者)のいずれに負担させることがより合理的かの比較考量の上に立つて「業務上」の概念を合理的に拡大するのが妥当であつて、このことにより労災保険の給付対象の拡大を求める動向にも副い、また生活権保険の理念にも合致すると考えられる。

ことに通勤災害に関しては、昭和四〇年頃以降の高度経済成長の展開に伴う企業の都市集中、住宅立地の遠隔化、モータリゼーシヨンの進展、交通災害の激増、等を背景に、通勤災害を業務上災害に含めて労災補償の対象とすべき旨の主張が注目されるようになり、昭和四五年二月発足の労働大臣の諮問機関である通勤途上災害調査会においても通勤災害の基本的性格につき、あるいは、通勤がなければ労務の提供があり得ないのであるから、通勤災害は業務上の災害とすべきであるとし、一方通勤は使用者の支配下にあるものでなく、使用者には災害予防の方法がないから、その途上における災害は業務外の災害であると、意見の対立をみながら、結局、通勤災害(当時労災保険の給付を受けるべきものを除く。)につき、労災保険制度を利用して業務上災害と概ね同水準の給付を行なうこととし、使用者は右に必要な保険料を全産業一律の料率で負担するものとすべき旨全委員一致の意見で労働大臣に報告し(昭和四七年八月二五日付報告書)、右報告と同旨の労災保険法の改正(四八年改正)がなされた。

通勤災害に関する四八年改正前の行政解釈による実務上の取扱は、労基法・労災保険法の被災労働者の損失補償を基本とする理解を前提として通勤災害それ自体は厳密には業務上といえないとの原則を維持しながらも、具体的事案については、利益絞量上、使用者側に負担させることを相当とする特別の事情が見出される場合、特に業務上と認めて労働者の救済を図つているものということができる。

以上述べたところに従つて考えるに、通勤災害のすべてを業務上の災害とみることはできないけれども、業務上の災害の補償主体が実質的に、個々の使用者ではなく、企業一般及び国の費用拠出による労災保険制度自体に移行した前記四〇年、四四年改正以後の時点では、通勤途上での被災労働者の被つた損害について、利益較量上、使用者側にその責任を負担させることを相当とする特別の事情があると認められる場合は、業務上のものと認めるのが相当である。

三1  本件災害に関する事実関係については、原判決九枚目裏初行「繁男が」から一一枚目表三行目までの記載を次のとおり訂正のうえ引用する。

原判決一〇枚目表七行目「繁男の社宅」から同一〇行目「あること、」までを「繁男が勤務する小森発電所は、熊野市の中心部から二十数キロメートル、最寄のバス停留所神ノ上(七色発電所前)からも十数キロメートルの山間僻地にあり、小森発電所の従業員の殆ど(繁男を含む。)は、同市中心部の有馬社宅に居住していたこと、通勤には、通常全区間社有車が配車されるが、日曜日等には社有車は神ノ上=小森発電所間のみで、熊野市駅前=神ノ上間、三重交通の路線バス(一日三あるいは四往復)と前記区間の社有車とを乗り継ぐ(繁男の事故当日の勤務内容である第二直の場合は、熊野市駅前午後一時三〇分発神ノ上午後二時二五分頃着のバスと同所午後三時四五分発の社有車との乗り継ぎ)のを例としていたこと、本件災害は熊野市中心部と神ノ上間の交通に適する唯一の道路(大峪峠越えの山間難路)で発生したものであること、前記社有車居住者が通勤のため熊野市中心部から神ノ上までタクシーを利用することは、会社の認めているところでなく、運賃は利用する労働者が自弁していたこと、右社宅居住者は出勤に際し、予定のバスの利用を逸した場合、次のバスでは到底間に合わないので、通常出勤を断念し、その日の年休を請求するのを例としていたこと」と、同一一枚目表初行「依頼し」を「命じ」とそれぞれ訂正する。

2  右事実関係によれば、本件災害当時は、代直者の獲得が困難であり、繁男の職務は災害防止上中断されるような事態が起きてはならない性質のものであつたことから、繁男がバスに乗り遅れた後、会社の権限ある上司(後藤等)に連絡してその旨を申告したとすれば(その際、もし年休の請求をしたとしても)、上司としては繁男に対し出勤をするよう命じたであろうことは十分に窺える状況にあり、その場合の出勤方法としては繁男が進行した道路によりその私有車(本件原付車)を利用することが通常の方法であるといえる。

四してみると、

1  繁男がバスに乗り遅れた後、本件原付車を用い順路により出勤行為に及んだことは、その中断を許さない職務の性質及び当日の人員の必要状況に照らすと、上司の指示がないとはいえ、企業の運営上当然期待される合理的行為であつて、右出勤は使用者の特命に基づく不時の出勤と同視することができる。

2  しかも、繁男の勤務場所の位置からすると、日常の通勤についてもその方法に殆んど選択の余地がなく、いいかえると、繁男は、小森発電所に勤務することにより、会社に対し本件災害発生の進行経路による通勤を義務づけられたといえ、その通勤途上の災害の危険は通常の労働者の通勤に比し著しく大きいものとみることができる。

もつとも、会社の予め指示する通勤方法は、日曜日にあつても当日乗車予定の路線バスによるものであるが、もともとバスも会社の支配下にあるわけではないからその代替方法として本件原付車による通勤途上の災害もこれと区別すべきでない。路線バスによるか自己運転の原付車によるかは危険の程度に差があるが、この差異は、業務上・外の区別をもたらすものではない。しかも、繁男はバスに乗り遅れた時点で、なお出勤を命ぜられたのと同視される状態にあるのである。この場合にあつても、会社としては、日曜日に社有車を配車し、あるいは配車可能の状態におき、私有車による災害を防止する手段がないわけではない。

以上の点を総合すれば、繁男の本件通勤災害は、通常の通勤と異なる特別の事情があり、その危険が現実化したものであつて、会社にその責任を負担させるべき場合(もつとも、その原因の一半は、原判決判示の組合の「時間外休日労働等拒否闘争」にあつたというべきである。)ということができるので、労基法、労災保険法にいう「業務上(の事由による)」災害に該当するものといわなければならない。

五したがつて、被控訴人がした本件災害による死亡が業務上の事由によるものといえないとの理由に基づく本件給付をしない旨の本件処分は違法であつて、その取消を求める本訴請求は正当として認容すべきであるから、これと異なる原判決を取消すこととし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法九六条、八九条に従い、主文のとおり判決する。

(山内敏彦 田坂友男 高山晨)

【参考・第一審判決】

(和歌山地裁昭五〇(行ウ)第五号、昭53.6.28判決)

【主文】 1 原告の請求を棄却する。

2 訴訟費用は原告の負担とする。

【事実】 第一 当事者の求めた裁判

一 請求の趣旨

1 被告が昭和四八年六月二〇日付で、原告の夫宇都宮繁男の死亡につき原告に対してした労働者災害補償保険法に基づく遺族補償給付及び葬祭料を支給しない旨の処分を取り消す。

2 訴訟費用は被告の負担とする。

との判決

二 請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨の判決。

第二 当事者の主張

一 請求原因

1 原告の夫宇都宮繁男(以下「繁男」という。)は、電源開発株式会社(以下「会社」という。)に雇傭され、昭和四〇年以降右会社紀和電力所管内七色、小森発電所に勤務し、小森発電所(三重県南牟婁郡紀和町小森字小森所在)において右発電所及びダムの保守、管理をする土木係員をしていたところ、同四六年一二月一二日、居住していた同県熊野市有馬町の社宅から右発電所まで出勤するため、自己所有の原動機付自転車を運転中、同日午後四時ころ、同市井戸町字瀬戸県道七色峡線道路において道路わきに転落し、頭部に打撲を受け脳出血のためそのころその場で死亡した(以下「本件事故」という。)

2 原告は、繁男の妻で、繁男死亡当時同人の収入により生計を維持し、かつ、同人の葬祭を執行したものである。そこで、原告は、被告に対し、労働者災害補償保険法に基づく遺族補償給付及び葬祭料の支給(以下「本件給付」という。)を請求したところ、被告は、昭和四八年六月二〇日付で本件事故による繁男の死亡は業務外の事由によるものであることを理由に本件給付をしない旨の処分(以下「本件処分」という。)をした。原告は、本件処分の取り消しを求めて和歌山労働者災害補償保険審査官に審査請求をしたが、同年一一月一五日付で同審査官から右請求を棄却する旨の裁決を受け、更に、労働保険審査会に対し再審査請求をしたところ、同五〇年四月三〇日付で同審査会から右請求を棄却する旨の裁決を受け、右裁決書謄本は、同年五月三一日、原告に到達した。

3 しかしながら、次に述べたように、繁男の死亡は業務上の事由によるものである。

(一) 繁男は、本件事故当日、小森発電所において午後五時から同一〇時までの第二直勤務を行うことになつていたところ、社宅近くの熊野市駅前午後一時三〇分発の三重交通バスに乗車する予定で社宅を出たが、これに乗り遅れ、次のバスでは右始業時刻に間に合わないので、自己所有の原動機付自転車で出勤した。

(二) 本件事故当日、繁男の所属していた電源開発労働組合(以下「組合」という。)は組合員全員を対象に時間外労働拒否闘争を実施し、組合紀和分会では、直勤務者が年次有給休暇(以下「年休」という。)を取得すると代直すべき組合員に時間外勤務をさせることになるので、右闘争期間中は直勤務者に年休を取得しないように指導していたし、会社が組合員に時間外勤務を指示するためには、紀和電力所長が組合紀和分会と交渉して決定しなければならなかつた。そして本件事故当日は日曜日で小森発電所には組合員である直勤務者しかおらず、そのため繁男としては本件事故当日に年休を取得することは断念せざるを得ず、また会社としても繁男の代直者の獲得は困難であつた。

(三) 繁男が従事していた職務は、電気事業及び石炭鉱業における争議行為の方法の規制に関する法律の適用対象となつているほど公共性が高く、発電、送電の不時の中断又はダム、河川の異常による災害の発生を防止すべき重大な責任を負つている職務で、右職務が中断されるような事態がおきてはならない性質のものであつた。

(四) 小森発電所は、山間僻地にあつて繁男居住の社宅からきわめて遠く、日曜日には社有車の配車はなく、三重交通バスを利用して出勤する他はない。しかも右バスの運行本数はきわめて少数であり、繁男が乗車予定の右バスの利用を逸した場合、次のバスでは間に合わず、タクシーの利用も考えられるがその料金は通勤者負担で、またタクシー通勤を可とする会社からの通達はなく、結局同人のとるべき唯一の通勤方法としては本件事故の際に運転していた自己所有の原動機付自転車を利用するしかなかつた。また、本件事故当日においては、繁男が通過した道路以外に利用に適する道路はなかつた。

(五) 以上によれば、繁男が本件事故当日出勤に利用する予定のバスに乗り遅れた後において、同人としてはその日の年休の取得を断念せざるを得ず、またその欠勤することはその職務上とうていできず、よつて唯一の通勤方法である右原動機付自転車を運転して出勤したものである。従つて、もし繁男が直接の上司である後藤隆男にバスに乗り遅れたことを連絡したら、同人は、繁男に対して特に出勤を命じていたであろうし、その時に繁男が年休の請求をしたとしても後藤がその時季を変更して出勤を命じたであろうこと明らかである。そうだとすると、繁男は、右当日上司から出勤命令こそ受けはしなかつたものの、客観的にみて上司から特に出勤を求められたと同視すべき事情があつたというべきであるから、繁男の右出勤は、使用者の支配管理下に入つていたというべき特別の事情があるものであつて、社会的に必要とされる準備行為といえども労働契約の本旨に基づく行為と解されるので、同人の死亡は業務上の事由によるものといわなければならない。

なお、仮に本件事故につき、繁男が上司の意見を聞かずに出勤したこと、又は繁男がバスに乗り遅れたことに過失があるとしても、労働基準法、労働者災害補償保険法よりみて、死亡災害については右過失の存在を問題とすべきではない。

4 よつて、繁男の死亡を業務外の事由であるとした本件処分は違法であるので、原告は、被告に対し、その取り消しを求める。

二 請求原因に対する認否

1 請求原因1、2項の事実は認める。

2 同3項のうち(一)の事実は認め、(二)の事実は不知、(三)ないし(五)は争う。

3 同4項は争う。

三 被告の主張

1 本件事故は、繁男が、その居住する社宅から勤務場所である小森発電所まで出勤する途中、予定のバスに乗り遅れたため、私有車を通勤に利用することが会社から厳禁されていたにもかかわらず、自己所有の原動機付自転車で出勤途上死亡した事故である。

2 本件事故は、右のとおり、繁男の通勤途中において発生したもので、通勤途中の事故は、住居の認定、通勤の経路、手段がいずれも全く労働者の自由意思に任されていて、通常使用者の関知するところではないのであるから、その通勤が使用者の指揮命令に基づく支配管理下にあると認められるような、たとえば特別の業務命令による場合とか使用者の専用車による通勤の場合等、特段の事情のある場合を除いては、使用者の支配管理下に入つているものとはいえず、従つて業務上の災害と認定されない。

本件事故は、通常の勤務につくための出勤途中のもので、右にいう特段の事情は存しないのであるから、業務上の災害でないことは明らかであり、従つて本件処分は適法である。

第三 証拠〈略〉

【理由】 一 請求原因1、2項の事実は当事者間に争いがない。

二 原告が本件給付を受けるためには、労働基準法七九条、八〇条、昭和四八年法律第八五号による改正前の労働者災害補償保険法一二条一項、同四九年法律第一一五号による改正前の同法一条からすると、繁男が、労働者として、「業務上の事由により死亡した場合」に該当しなければならない。ここにいう業務上の事由とは、労働者が使用者の支配管理下におかれている状態において災害が発生したこと(業務遂行性)を必要とすると解すべきである。

ところで、繁男は居住する社宅から勤務場所である小森発電所に出勤する途中本件事故のため死亡したことは争いのないところであるが、一般に労働者が出勤途中死亡した場合、労務の提供は勤務場所においてなすべきもので、労働者の通勤の経路、方法は労働者の任意で使用者の関知するところではないから使用者が出勤途中においては未だ労働者は使用者の支配管理下におかれているとはいえず、よつて、出勤途中においては原則として業務遂行性があると認めることはできないが、出勤途中であつても労働者が使用者の支配管理下におかれているとみられる特別の事情があれば、例外として業務上の事由があると解するのが相当である。

そこで、本件につき右にいう特別の事情があるか検討してみるに、繁男が、本件事故当日小森発電所において午後五時から同一〇時までの第二直勤務を行うことになつていたので、社宅近くの熊野市駅前午後一時三〇分発の三重交通バスに乗る予定をしていたところ、右バスに乗り遅れ、次のバスでは右勤務時刻に間に合わないので、自己所有の原動機付自転車で出勤途上にあつたことは当事者間に争いがなく、繁男が本件事故当日会社(上司)から明示の出勤命令を受けなかつたことは原告の自認するところであるところ、〈証拠〉によると、本件事故当日は日曜日のため小森発電所には直勤者以外の者は出勤していなかつたこと、そのため、繁男が本件事故当日突然休暇をとれば、右発電所で第一直勤務に従事していた各務福三郎が引き続いて時間外勤務をして繁男の第二直勤をせざるをえない状況にあり、現に本件事故のため各務が第二直勤務をも担当したこと、繁男の社宅から小森発電所までタクシーを利用できないことはないが、三重交通バスでの通勤が主であり、右発電所は山間僻地の不便な場所にあること、本件事故当日組合の指令により全組合員を対象に「時間外、休日労働並びに寄・日直拒否闘争」が実施され、会社か組合員である右各務に時間外勤務を命ずるには、労働協約に基づき、紀和電力所長が組合紀和分会に協議を求める手続が必要であつたこと、繁男の直勤務の内容は、小森発電所及びダムの保守、管理で(この点は当事者間に争いがない。)、緊急事態が突発して送電中断、ダム下流域の洪水等の被害が生ずるのを未然に防止する職務であり、会社としては繁男が勤務につかない場合その直勤務をする者がいないまま放置しておくことはできない性質のものであること、そのため、繁男の上司後藤隆夫七色、小森発電所長代理(次長)が、もし本件事故当日繁男からバスに乗り遅れた旨の連絡をうけていたら、時間的に余裕があれば代勤者を指名していたが、その余裕がなければ繁男に出勤を依頼していたはずであること、以上の各事実が認められ、これを左右するに足りる証拠はない。

右事実関係によれば、本件事故当時は組合の時間外労働拒否闘争中で、代直者の獲得が困難であつたこと、繁男の職務は災害防止上中断されるような事態がおきてはならない性質のものであつたこと、及び社宅から勤務場所までの交通の便がよくなかつたことは明らかであるところ、繁男が本件事故当日予定をしていたバスに乗り遅れた後、上司に連絡をしてその指示をうけていないことが明らかである。しかし、もし権限のある会社の上司(後藤等)に連絡してその旨を申告したとすれば、上司としては繁男に対し出勤をするように言明したであろうことは十分にうかがえる状況であつたといえる。

ところで、原告は、右のような状況がある以上出勤命令があつたと同視すべきで特別の事情により本件事故は業務上の災害に外ならないと主張する。しかしながら、およそ、使用者が労働者に対して出勤を命じた場合に、その労働者が出勤途中に使用者の支配管理下に入つたとみるべき特別の事情があるというためには、少くとも、労働者が休日等で本来労務提供義務のない日に、使用者が自己の都合により労働者に特別の出勤を命じた場合であることが必要であると解するのが相当であるところ、本件においては、繁男に本件事故当日、直勤務者として本来小森発電所で第二直勤務に従事すべき労務提供義務があつたものであり、仮に上司より出勤するように言われたとしても、又は、これと同視すべきであるとしても、それは繁男がバスに乗り遅れて遅刻しそうになつたことに対し、繁男の当日の労務提供義務を履行するように促すものにすぎず、出勤の義務のない日に特別の出勤を命じられた場合ではないから、右にいう特別の事情があつたとはいえない。

更に、繁男がバスに乗り遅れた後、仮に、権限のある上司に対し連絡のうえ年休を請求し、本件事故当日の第二直勤務を休暇とするようにその時季を指定したとしても、右のような組合が争議中であり、代勤者の獲得も困難な事実関係からすれば、労働基準法三九条三項但書所定の事由があることより明らかであるから、会社が時季変更権を行使し、これにより繁男が出勤した場合、やはり当日の繁男の本来の労務提供義務が存続しているものといえるので、この場合でも同様に右にいう特別の事情があるとはいえない。

そうだとすると、繁男が本件事故当日会社から特別の出勤命令を受けていたと同視しうる事情があつたので、前記特別の事情がある旨の原告の主張は採用しがたく、また、原告は、繁男の通勤方法、通勤道路等の特殊事情も強調するが、これらの事情があつたとしても、繁男の本件事故当日の出勤につき会社が支配管理を及ぼしていたものということはできず、他に特別の事情について原告の主張を肯認して前認定を覆えすに足りる的確な証拠はない。

以上によれば、本件事故は、繁男が労務を提供すべき日に、その場所まで出勤する途中で発生したもので、右特別の事情は認められないから、繁男の出勤途中に同人が会社の支配管理下に入つていた(業務遂行性)とはいえず、よつて本件事故による繁男の死亡は業務上の事由によるとはいえない。

三 以上の次第で、本件事故による繁男の死亡が業務外の事由によるとして本件給付を支給しないとした本件処分は適法であり、原告の本訴請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(惣脇春雄 川波利明 磯尾正)

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